2020年の夏 チャリでウッカーミュンデを目指す②

チャリ旅2日目、さっそく書くわ。

 

この日はこんな感じ↓。これも60~70kmぐらいの道のりでやんす。

JAOUR CAMPING→ヨアヒムスタール→ちょいちょい休憩→シュテーゲリッツ→プレンツラウ

 

まずは朝ご飯を探して、ヨアヒムスタールを目指します。

森の中みたいな道を走り、村のパン屋さんに到着!

地域密着型で長くやってるお店らしく、内装も年季入ってるし、レシピも年月を重ねてきた感じ。

 

小洒落たクロワッサンとかないねん。

もっと気合いの入った甘めのパンが勢ぞろい。

例えば、ミスドフレンチクルーラーを想像して。

あのルックスの土台に、メレンゲ?を固くしたようなクリームを注入。

チョコレートでコーティング。

他には、ジャムががっつり入ったジャムパンとか。

 

ワタシはそんな猛者を横目に、サンドイッチ食べた。

ダイレクトに感じるバターの味、この背徳感がたまりまへんな。

 

そして再びチャリにまたがる。

お尻の痛みは全然なくて、とりあえず安心。

とはいえ、油断は禁物。

ワタシの重みを一心に受け止めてるわけやし。

 

フランツ・ノイマンていう18世紀の物理学者の記念碑も見つけたわ。

ちゃうねん、聞いて。

その昔、この辺りってブランデンブルク辺境伯領やったらしい!

世界史で聞いた名前やーーーん!!

 

この日のコースは、森の中を走る時間も結構長かってんー。

8月の下旬ともなると、もう秋の足音が聞こえまんな。

 

この辺でちょっと真剣な話なんやけどさぁ。

ベルリンープレンツラウ間では、ナチス時代の歴史を記した碑や説明板をほとんど見かけず。

街の広場みたいな場所にある、街の歴史の説明板にも大戦期のことが載ってないねん。

 

大戦末期には大小合わせて1000以上の収容施設があったらしいのに、この地域だけにはなかったなんて不自然に映る。

沼地やし、近くに大きい都市もないから収容所に適してないと判断されたのか......。

 

でも、物は考えようやん?

森だらけやし、収容所や収容された人を隠すという観点では好都合やったはずやねん。

河川を使った物資の運搬も発達してたみたいやし、物流も思うほど悪くなかったんちゃうかなって想像したんやけど。

 

あと、軍関係の施設は今でもこの辺にちらほらあるねん。

かつては軍需品を生産してた工場とかもあったみたいやし、やっぱり収容所だけがなかったなんて不思議すぎる。

収容所は、ナチスや産業関係者にとっては「働かせ放題の労働力の供給源」やったわけやし。

 

東西分断と統一の流れで沈黙されたままになってるんかなぁ。

沈黙といえば、東ドイツ時代のこともあんまり触れられてなかったなぁ。

説明板は地域の自然の特色を伝えるものが多かったわ。

自然が魅力的っていう土地柄もあると思うけど。

いずれにせよこの辺の地域のことはちょっと調べよう。

 

さてさて、若干ルートを間違えつつもプレンツラウに到着。

ここのキャンプ場で、昨日のキャンプ場が4つ星やったって実感しました。

プレンツラウのキャンプ場はトイレとシャワーが簡易版でした。

清潔やねんで。

でも、なんか落ち着かへん!笑

ちなみに、1人1泊6ユーロ。

 

そして、衝撃の事実。

チャリ旅3日目と4日目、お天気が下り坂らしいではありませんか。

しかも嵐レベル。

 

え、どうする?

雨の中チャリ漕ぐのも、テントで寝るのも嫌やねんけど。

 

2日目の報告、おわり。